歴史・文化
芦田地域が生んだ俳人・細見綾子
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高座神社にある歌碑。
「でで虫が 桑で吹かるる 秋の風」
- 芦田小学校校歌(細見綾子作詞)
細見綾子は明治40年3月31日に青垣町東芦田に生まれました。
細見家は江戸時代からの名家で、父の喜市は芦田村の村長を務めた人物ですが、綾子が13歳の時に病気で亡くなります。
その後、柏原高等女学校を卒業した綾子は、日本女子大学国文科に進学し、昭和2年に同校を卒業した20歳の頃、東大医学部助手の太田庄一と結婚。日本女子大学の図書館に勤務しました。
しかし、昭和4年1月に夫・庄一が突然病死し、綾子は郷里の丹波に引き揚げます。そして同年4月23日には母・とりが亡くなり、度重なる不幸による心労からか、同年の秋に肋膜炎になります。病気の療養をしていた際に倦鳥派の俳人でもあった医師・田村菁斎の薦めで俳句を始め、その後、俳人・松瀬青々に就いて本格的に俳句の道へと入りました。
戦後、昭和21年5月、沢木欣一主宰の雑誌「風」が創刊され、綾子は同人となります。その翌年の11月に沢木欣一と再婚しました。
その後も俳句の創作活動を続け、昭和40年には母校・芦田小学校校歌の作詞を手掛け、昭和56年には勲四等瑞宝章を受章し、また昭和59年から一年間、NHK教育テレビで趣味講座「俳句入門」の講師を務めるなど活躍し、平成9年9月6日に90歳でこの世を去りました。
*問い合わせ先:丹波市観光協会
13のお宮ネットワーク
丹波・東芦田は、芦田川沿いに広がる全長約4kmの細長い集落です。
喜多は京都府福知山市へと連絡し、京都から都文化の要衝地であったと考えられます。
このためか、集落内にはいわれの深い13のお宮が存在し、各隣保の心の拠り所として位置づけられています。
しかしながら、最近の生活様式の変化等から、お宮さんと隣保の関係性が希薄になってきていることを憂い、丹波・東芦田では「みっけ隊」を組織し、集落遠足と銘打って季節の良い時期にお宮散策を行っています。
泉端神社 | 高座神社 | 山神社 | 稲荷神社 | 地神社 |
大神神社 | 愛宕神社 | 須賀神社 | 三柱神社 | 八幡神社 |
芦田神社 | 御霊神社 | 少将神社 | ※順不同 |
「東芦田みっけ隊」でお宮を探訪
- 御霊神社
- 芦田神社
- 奥の院
- 愛宕神社
- 少将明神社
- 少将の腹切り岩
- 高座神社
- 高座神社
- 八幡神社
名工・綿貫重吉の作(高座神社)
- 綿貫重吉の狛犬(あまのじゃくを抑える狛犬)
- 綿貫重吉の碑文
胎蔵寺(いぼ水さん)
- いぼ水さん
- 胎蔵寺
瑞雲寺
- 瑞雲寺
- 瑞雲寺
- 天井格子画
- 裏の蓮池
丹波市最古の灯篭

瑞雲寺の灯篭