俳人 細見綾子 生家

丹波市で生まれ育った俳人細見綾子の生涯は、平成27年7月に遺族の方から生家の土地建物と、今後の永続的な施設管理並びに市の文化振興に寄与するためにと1億円の寄付をいただきました。
生家の活用については、俳人細見綾子の顕彰を行うとともに文化的価値を地域資源として活かし、丹波市民の芸術文化向上及び発展に資することを目的として、平成29年度に現状の趣を残しつつ見学用施設としてリノベーション改修を行いました。

建物・常設展示物

 

 

 

アクセス・開館時間

開館時間 10:00~16:00(入館は15:30まで)
入館料 一般【16歳(高校生)以上】:200円
中学生以下:無料
※丹波市及び丹波市が支援する団体等が主催する行事や、
丹波市内小中学校が学校行事又は授業等で入館される場合
は入館料を免除します。
見学申込 見学・入館は予約制です。見学を希望される場合は、
希望日の前日までにお申し込みください。
申込窓口 丹波市まちづくり部文化・スポーツ課(春日文化ホール内)
TEL 0795-74-1050  FAX 0795-74-2855
休館日 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)
年末年始(12月29日〜1月3日)

細見綾子 略年譜

明治40年(1907)
兵庫県氷上郡芦田村東戸田(現・丹波市青垣町)に父・細見喜市、母。とりの長女として生まれる。
大正9年(1920)
父。喜市病死。
大正12年(1923)
柏原高等女学校卒業。日本女子大国文科に入学、
昭和2年(1927)
日本女子大学卒業。大田庄一(東大医学部助手)と結婚。
昭和4年(1929)
夫病没、母・とり病没。帰郷後病を得て長い療養生活を送る。
医師のすすめにより俳句を始め、松瀬青々主宰「倦鳥」に投句。
昭和9年(1934)  池田市石橋に仮寓。 昭和13年(1938)
池田市から丹波へ戻る。
昭和17年(1942)
第一句集「桃は八重」刊。
昭和18年(1943)
沢木欣一から句集「雪白」の原稿を受け取り、欣一の出征を見送る。翌年、句集「雪白」を刊行。
昭和20年(1945)
沢木欣一が復員の瑞途、丹波に寄る。
昭和21年(1946)
金沢にて「一風」創刊、同人となる。
昭和22年(1947)
沢木欣一(東京芸大教授)と結婚、金沢市に居住。25年長男出生。
昭和27年(1952)
第二句集「冬薔薇」刊、茅舎賞受賞。
昭和31年(1956)
武藏野に移り住む。第三句集「雜子」刊。
昭和34年(1959)
第一隨筆集「私の歲時記」刊。
昭和40年(1965)
母校芦田小学校の校歌作詞。
昭和46年(1971)
金沢市尾山神社に「鶏頭を 三尺離れ もの思ふ」の句碑建立。第四句集「和語」刊。
昭和49年(1974)
第五句集「伎藝天』刊。翌50年「伎藝天」により芸術選奨文部大臣賞受賞。
昭和53年(1978)
第六句集「曼陀羅」刊。翌54年「曼陀羅」により蛇笏賞受賞。第二随筆集「花の色」刊。
昭和55年(1980)
伊人協会訪中団の一員として訪中。
昭和56年(1981)
勲四等瑞宝章叙勲。
昭和57年(1982)
第三種筆集「俳句の表情」刊。
昭和59年(1981)
「奈良百句」刊。石川県寺井町の新田祐久宅に「古九谷の 深むらさきも 雁の頃」の句碑建立。
昭和60年(1985)
皇居歌会に陪席。故郷青垣町高座神社にでヽ虫が 桑で吹かるヽ 秋の風」の句碑建立。 昭和61年(1986)
第七句集「存問」刊。
平成元年(1989)
俳人協会顧問に就任。
平成2年(1990)
三重伊賀町の芭蕉公園に「早稲刈りに そばへが通り 虹が出し」の句碑建立。
平成1年(1992)
沢木欣一編の評釈集「細見綾子俳句鑑賞」刊。第八句集「天然の風」刊。
平成6年(1994)
第九句集「虹立つ」刊。
平成7年(1995)
母校柏原高等女学校跡(現・黎明館) に「雉子鳴けり 少年の朝 少女の朝」の句碑建立。
平成8年(1996)
第四隨筆集「武蔵野歲時記」刊。第十句集「牡丹」刊。
平成9年(1997)
九月六日心不全のため永眠、九十歲。墓所は東京都府中市田島山誓原寺。
平成18年(2006)
愛知県犬山市の名錶犬山ホテル庭内に「木曾川を 見おろして城 冴え返る] の句碑建立。
平成26年(2011)
「細見綾子全句集」刊。

地域資源

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